PROFILE -自己紹介-

このページは、私自身の自己紹介のページです。
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初めまして、Ozpapaと申します。

初めにこのサイトを訪問していただきありがとうございます。

このサイトでは、主にWordPressテーマSWELLについての記事と私の大好きな料理の事を中心に、誰かのお役にたてるようなサイトづくりをしております。

私は2007年からオーストラリア、住みついている者です。
でも、怪しい者でもございません。

1981年生まれ、A型の双子座です。神奈川県生まれの神奈川県育ち、趣味はギターと波乗り、そして料理をする仕事をしています。

好きなものは、卵かけご飯/コーヒー/動物。
嫌いなものはなし。

性格は、スーパーポジティブです。

趣味の波乗りがきっかけで、オーストラリアに来ました。

家族構成は、妻と子供が2人+猫さんとモルモットが4匹という9人家族です。

これから私の半生を軽く紹介します、良かったら良かったら見ていって下さい。

※少し長くなりますが、よろしくお願いします。

Amazonのアソシエイトとして、当メディアは適格販売により収入を得ています。

私の半生

ジャンプする少年の写真
ジャンプする少年の写真

少年時代

この紹介を書いている時点で40歳です。

神奈川県の田舎町に育ちました。(一応小田急線沿い)

小学校、中学校と地元の学校で、特に取り柄もなく、でも暗くも無く育ちました。

割とアクティブで人に縛られるのが嫌い、いつも冒険心に溢れていた少年だったと思います。

中2で人生の最高ピーク

音楽バンドの写真
音楽バンドの写真

人生の転機は中学校2年の時に来ました。

90年代後半のバンドブームです。

憧れていたバンドに影響を受け、仲間と連んでバンドを始めました。

最初はドラムをやれーって言われたのですが、本当はギターを弾きたかった。

理由はシンプルにカッコ良かったからだと思います。

そのうち先輩からのお古のエレキギターを5000円で譲り受けました。

練習に練習を重ねて、そこそこの腕前になっていたと思います。

指の皮が剥けるたびなんだか成長している気がして楽しかった記憶があります。

当時は、暇があれば本屋に行きギター関連の本を読み漁り、週末は隣町の楽器屋に出没という生活。

人生で初めて、すごい事をしている気分で毎日が楽しくてしょうが無かった記憶があります。
ちなみにバンやろGIGSは毎月購入していました。

思えばこの頃が、人生の一番ピークだった気がします。

高校生活そして


高校受験は、勉強ができなかったので、推薦で行ける工業高校に進みました。
中学校の時の友達とは離れ離れになりましたが、それよりも憧れの高校生活に高揚してたと思います。

その理由は、バンドを組み→人気者→女子からモテまくるという完璧な高校生活を妄想していたからでした。

しかし、私の進んだ工業高校は99%の男子比率、ヤンキーかオタクの学校。

そして当時の軽音楽部は廃部状態。出だしから、最悪の高校生活の始まりです。


それでも諦めきれず仲間を集め、強引に国語の先生を顧問に勧誘し、無事に軽音楽部を復活させました。

怖いもの無しの高校生活です。

やがて、バンド活動一色の高校生活も終わり、就職の道に向かう仲間達とは反対に、自分は、色んなバンドを転々とし、上手くいかずに悶々と苦しむ日々。

仕事も長く続かず、当時の彼女にもフラて、人生どん底。
自分を支えていたはずの音楽、いつしか憎むべき存在になっていることに気づきました。

自分は一体、何者で何の為に生きているのか?

全てが負のスパイラル。

この頃が人生の暗黒期です。

絶望の男性の写真
絶望の男性の写真

スーパーポジティブも流石に参っていたこの頃。

波乗りが変えてくれた人生

音楽をしばらく離れて、違うことを探し始めた矢先、ドライブしていった海でサーファーを見て。
これだー!!と決心。

次の日には、速攻で海に入っていました。

行動力が武器の私です!

サーフロードトリップの写真
サーフロードトリップの写真


波乗りは、奥が深くて、楽しい。

大自然の前ではエゴは通用せず、なかなか上手く掴む事ができないけど、それがまた夢中にさせてくれました。

時には大きなセットを食らい、何度も巻かれました。

諦めずに続けれたのは、貪欲にシンプルなことを追いかける事と、波乗りを通じて知り合った仲間たちの存在が大きいと思います。

同じ目標を持つ仲間と週末サーフトリップは、忘れられない時間を過ごせました

嫌な仕事も、波乗りの為なら、楽勝。


そして、今の妻とも波乗りを通じて出会います

いざオーストラリアへ

長年の夢の海外留学をしたい妻と、海外で波乗りしたい私の夢が重なり、2人でワーキングホリデーでオーストラリアに。

中古で手に入れた1989年式の中古のトヨタで、ゴールドコーストからパースまで、ファームで働きながら波乗りをする生活。

サーフボードの写真
サーフボードの写真



貯金もあとわずかになり、ついたパース初日。

掲示板で見かけた、仕事とシェアメイト募集に応募すると即決定。

順調に事が進んでいきました。そんなある日、何か強い縁に引き寄せられる様に、移民弁護士さんの無料セミナー受講することに。

一気に目の前が明るくなりました。

そうです、またもや大きな決断をしてしまいました。

2人ならきっと大丈夫!

その日に妻と永住権を取得する決意をしたのです。

永住権取得

永住権取得のプランは、妻がシェフのスクールを2年で卒業して、IELTS(英語のテスト)のスコアをクリアすれば永住権の申請ができました。

私は2年目のワーキングホリデービザを取得して、働いて働いて、必要な経費を全力でバックアップしました。

しかし現実はそんなに甘くなく、すぐに変わるオーストラリアの移民法により、条件はさらに難しくなっていき、振り回される羽目に。

結局移民法の改正で、パースで申請資格のポイントを得られなくなり、地方もしくは他の州での申請が必要になり、結局地方でスポンサーになってくれるレストランで働き始めます。

不安がないとは言い切れませんでしたが、仮に失敗をしてもいいと決めていました。

そして運命の時がきたのです。

2010年1月4日、妻の誕生日に晴れて、永住権を取ることができたのです。

喜ぶ男女の写真
喜ぶ男女の写真

なぜこのブログを始めたのか

不安定な世の中になり、ここ2年で自分自身の人生を考える時間が増えました。
安定した仕事だと思って普通に過ごしている事が、いかにヤバイ事なのかを感じています。

たった一度の人生、正直に生きていこう。

そして、もっと自由にわがままに生きていくために、このブログを始めました。

正直に言いますと、誰の為にとか想像がつかないのですが、もしもこのブログに出会う機会のある人に向けて言いたいのは、

幸せを見つけるために、自由になろう!』と伝わればと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。